こういう状況になって、みんなわかったはずだ。やらなくていいこと、余計なことはたくさんある。そのときそこで一番大事なこと以外は、ちょっといいかげんでもいい。ただそのことでみんな少し不便になったりするかもしれないけど、お互いにいいかげんさを認めれば、死にたくなったり病気になったり、いつもイライラして怒ったり殴ったり殺したりしてるよりは、全然いいと思うのだ。たとえばスーパーの店員さんのレジ対応。深々としたおじぎ、マニュアルどおりの丁寧すぎて日本語が崩壊寸前の言葉、にこやかな笑顔。決まりだから、ジジババやイライラしてる人が怒るから、それをやめるわけにはいかない。でもそこの本社の幹部の人に聞きたい。怒るジジババやイライラしてる人に聞きたい。それ、ほんとに必要か?レジの人はそれやるだけの給料もらえてるのか?ヨーロッパのスーパーレジ行ってみろ。1ミリもニコリともしない恰幅のいいおばちゃんやおねえちゃんが、座ったまま無言でベルトコンベアの上に商品流すだけ。客がいなきゃおしゃべりしてる。会計が間違いなくできればそれで十分でしょ。そのかわり店員さんには、本当に困ってる人には自分の判断で助けたりできるような余裕をもってもらう。何を一番大事にするか、会社が明確に伝える。何もかも大事にするのではない。本当に必要なことだけを大事にする。高齢者の客は認知機能の低下とともに許せないことが多くなるからあまり期待できない。40代50代くらいの客ならまだ大丈夫だと思いたい。その人たちが許せばいいのだ。そしていろんなサービス業の本社の幹部は、自社の社員やアルバイトを犠牲にするような無駄な対応はやめますと、宣言してほしい。この国の40代50代の人たちが許せるようになれるだけの余裕があるかどうか。バブル世代の下は不遇の世代なので、はっきりいって心身ともに余裕は無い。でもみんながちょっとだけいいかげんにやることで、みんながちょっとだけ不便を被りながらも少しは心に余裕を持てるようになりたい。本当のところ手っ取り早い余裕は、誰もが暮らしていけるだけの収入があることなんだけど。現実はひと握りの富裕層とそれ以外という、超格差社会になってしまったけど。