COVID-19流行下の日々を集団で記録する日誌

記録をつける

2022-01-10

自分のために頑張れない。
学校に行かなければならないという義務感が薄いのは将来何かあっても自分ならどうにかできるだろうという自信があるからではなくて、未来の自分が嫌な目にあっても耐えれるだろうしそんなことどうでもいいという諦めに近い考えがあるからだと思う。

そういう義務感が薄くなり始めたのは二年の夏休みからだった。
夏休み明け初日に休んだのを皮切りにそれまでほとんどなかった休みや遅刻が増えた。
夏休みに決定的な出来事があったかというとそういうわけではないから多分思春期的な、中二病的な心の変化だろう。
自分のために頑張れなくなったのが同時期だとしたら、その前はどうしていただろう。思い出すと彼女のために苦手な早起きをしようとか、プレゼントを買うために初めて一人で遠くまで行こうとか、そういうことしか出てこない。
でも当時の恋愛観は自己中心的だったからこの頃の努力は自分のためだったと言えるかもしれない。

その夏休み後の学校生活では運動会も音楽コンクールも頑張れなかったのはもともと戦力外なんだから頑張っても結果は何も変わらないと思ったからだけど学校なんだから結果よりも過程が大切だということは理解していた。

二年といえば、その年から新型コロナウイルスが流行りだして一斉休校になった。
そういうハプニングが起こると他人の事を想う機会が増えるので嫌いじゃない。
平穏な日常では自分は腐ることしかできないから、避けることのできない自然災害や緊急事態が待ち遠しいと愚かなことを思うときがある。

極端な話、忙しくしておけば常に仕事を増やし続けて休む暇もない中で遊ぶことも諦めない理想的な生活を送れる。
でもそれが途切れてその先に中期間以上続くプロジェクトの予定が無く休みが始まった途端全てどうでも良くなる。

改善するには動き始めればいいのだけどそれは今気付いたことだ。
もう遅い。少し考えれば分かることだけど、脳が考えることをやめるからきっかけが生まれない。

彼女のためなら頑張れる。
その彼女と最近あったのはいつだろうか、思い出せない。もう数ヶ月会っていない。別に遠距離でもないのに。

絶対にこっちから飽きない、浮気もしない。というのも自分のためではなく、その欲がないだけ。その結果得るものは信頼か、でも別れればその信頼は振り出しに戻る。

外から奇声が聞こえる。ああはなりたくないかなと思うけど、考えるほどまあそれもどうでもいいかなと思う。
自分のうちから出る欲はか細く、だからといって受け身で生きるのは嫌だから他人から欲を借りるけど、内からでるものより賞味期限が短い。

自分で決めたことじゃないから、どうしてもそれが良いと思える拘束力が弱い。

受験のときも頑張れなかった。でも受かってしまった。あの学校あんまり好きじゃない。楽しめるけど、根本的に雰囲気が好きじゃない。

どうにかしないと